珍しく頭の冴えてるゴールデンタイムに読書。
忘れないうちにレビュー。
日本版スローシティ 久繁哲之介
〜地域固有の文化・風土を活かすまちづくり〜
キーワードは『ライフスタイル』。
個人のライフスタイル、地域のライフスタイル、日本のライフスタイル、欧米のライフスタイル。
それぞれのライフスタイルによって目指すべきそれぞれの『まちづくり』があるべきだが、そのライフスタイルを探ることをしないで全国各地で『まちづくり』が行われている。
まちづくりは地域市民のライフスタイルを尊重し実現する手段。
欧米のまちづくりの専門家はまず、地域市民のライフスタイル・文化を考え、それを熟知した上でまちづくりに取り組む。
日本のまちづくり専門家はどれだけ知っていて、知ろうと務めているのか…
『ライフスタイル』は『型』であり『暮らし方』、『時間の過ごし方』。
『5W1Hでの過ごし方』が大切なのかもしれない。
その中での重要なファクターが『どこで誰と過ごすか』だと思う。
『日本版スローシティ』の精神。
行政に依存しない『市民自身による地域資源を活かす施策の展開』。
西欧と日本では、街を利用する者(市民)が都市に関心を持ち、都市を“憩いと交流の場”として楽しもうとする「気持ち・ゆとり」に大きな差がある。
その差が「文化・ライフスタイル」の差に繋がっている。
公共施設を私的施設へのシフトが必要だと思う。
くつろぎやゆとりを感じる居場所、サードプレイス的な『場』が必要なのではないか。
そのためには、行政もある程度の緩さが必要ではないかと…思う。
公共空間は市民ライフスタイルを実現する場と位置づけることは、スローシティには欠かせない施策。
いかに車社会やインターネット社会が進展しようとも、郊外商業施設やインターネットでは人に提供できないものがある。
人との交流・地域文化とのふれあいを求め、さらにそこから得られる心の充足を求めている。
スローシティはそういう場を目指し、郊外消費や自宅消費との差別化を図り、街中活性化を実現する手段でもある。
今朝(2012.12.2)の東奥日報の1面に青森県内の「空き家条例」に関する記事が取り上げられていた。
空き家と店舗が一体化した商店街なんかは、空き家の増加が空き店舗の増加にもつながる。
商店街の衰退にもつながる深刻な問題。
公園のあり方。
日本では「芝生に入ってはダメ」「これはダメ」といった命令口調の使用を規制する看板がたくさんあるが、
NYのブライアントパークでは1人がけ用の可動式チェアを置いていて、「あなた方の人数に応じて、あなたが座りたい場所に座りたい方向に向いて自由に座ってください」というメッセージが込められている。
従来のまちづくりマニュアル・論文の多くは、「多くのメニュー・成功事例から最適解を効率良く選べる」利便性に優れているが、選択しから最適な解を選択する楽なシステムに慣らされた市民・自治体は、「自主・自立・自考精神」を喪失しかけている。
それに比例するように、地域の文化・風土も失われていき、地域の姿は画一化・衰退が進展していきます。
そんな中で本書に挙げた事例の市民・コミュニティは「自主・自立・自考精神」と「地域の文化・風土への愛情」にあふれている。
この精神・愛情こそ、これからのまちづくりに最も必要な要素であり、そのようなまちづくり(笑)の取り組みが「スローシティ」に繋がる。
この本を読んで、先入観や固定観念という上着を1枚脱がされたような気がする。
「学ぶは真似る」と言ったものの、なんでもかんでもではなくて、自分に合った真似るが大切。
そのためには自分や地域を知ることが大切。
もっと自分の足で地域を歩いて、たくさんの地域の人の声を聴きたいと思った。
忘れないうちにレビュー。
日本版スローシティ 久繁哲之介
〜地域固有の文化・風土を活かすまちづくり〜
キーワードは『ライフスタイル』。
個人のライフスタイル、地域のライフスタイル、日本のライフスタイル、欧米のライフスタイル。
それぞれのライフスタイルによって目指すべきそれぞれの『まちづくり』があるべきだが、そのライフスタイルを探ることをしないで全国各地で『まちづくり』が行われている。
まちづくりは地域市民のライフスタイルを尊重し実現する手段。
欧米のまちづくりの専門家はまず、地域市民のライフスタイル・文化を考え、それを熟知した上でまちづくりに取り組む。
日本のまちづくり専門家はどれだけ知っていて、知ろうと務めているのか…
『ライフスタイル』は『型』であり『暮らし方』、『時間の過ごし方』。
『5W1Hでの過ごし方』が大切なのかもしれない。
その中での重要なファクターが『どこで誰と過ごすか』だと思う。
『日本版スローシティ』の精神。
行政に依存しない『市民自身による地域資源を活かす施策の展開』。
西欧と日本では、街を利用する者(市民)が都市に関心を持ち、都市を“憩いと交流の場”として楽しもうとする「気持ち・ゆとり」に大きな差がある。
その差が「文化・ライフスタイル」の差に繋がっている。
公共施設を私的施設へのシフトが必要だと思う。
くつろぎやゆとりを感じる居場所、サードプレイス的な『場』が必要なのではないか。
そのためには、行政もある程度の緩さが必要ではないかと…思う。
公共空間は市民ライフスタイルを実現する場と位置づけることは、スローシティには欠かせない施策。
いかに車社会やインターネット社会が進展しようとも、郊外商業施設やインターネットでは人に提供できないものがある。
人との交流・地域文化とのふれあいを求め、さらにそこから得られる心の充足を求めている。
スローシティはそういう場を目指し、郊外消費や自宅消費との差別化を図り、街中活性化を実現する手段でもある。
今朝(2012.12.2)の東奥日報の1面に青森県内の「空き家条例」に関する記事が取り上げられていた。
空き家と店舗が一体化した商店街なんかは、空き家の増加が空き店舗の増加にもつながる。
商店街の衰退にもつながる深刻な問題。
公園のあり方。
日本では「芝生に入ってはダメ」「これはダメ」といった命令口調の使用を規制する看板がたくさんあるが、
NYのブライアントパークでは1人がけ用の可動式チェアを置いていて、「あなた方の人数に応じて、あなたが座りたい場所に座りたい方向に向いて自由に座ってください」というメッセージが込められている。
従来のまちづくりマニュアル・論文の多くは、「多くのメニュー・成功事例から最適解を効率良く選べる」利便性に優れているが、選択しから最適な解を選択する楽なシステムに慣らされた市民・自治体は、「自主・自立・自考精神」を喪失しかけている。
それに比例するように、地域の文化・風土も失われていき、地域の姿は画一化・衰退が進展していきます。
そんな中で本書に挙げた事例の市民・コミュニティは「自主・自立・自考精神」と「地域の文化・風土への愛情」にあふれている。
この精神・愛情こそ、これからのまちづくりに最も必要な要素であり、そのようなまちづくり(笑)の取り組みが「スローシティ」に繋がる。
この本を読んで、先入観や固定観念という上着を1枚脱がされたような気がする。
「学ぶは真似る」と言ったものの、なんでもかんでもではなくて、自分に合った真似るが大切。
そのためには自分や地域を知ることが大切。
もっと自分の足で地域を歩いて、たくさんの地域の人の声を聴きたいと思った。