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2012年8月30日木曜日

『第三の大人の役割』~青森KEN民塾~

TED×Tsugaruへようこそ!(笑)

今日は話題提供者<プレゼンター>として出席。

テーマは

『“NPO弘前こどもコミュニティ・ぴーぷる”から学んだ「第三の大人」の役割』

“ぴーぷる”の理事としての実践から感じ、学んだ経験をベースに『第三の大人』の役割、あり方について話題を提供。

第1部 “非営利特定活動法人 弘前こどもコミュニティ・ぴーぷる”とは
第2部 『“NPO弘前こどもコミュニティ・ぴーぷる”から学んだ「第三の大人」の役割』

出席者のほとんどが青森市の方々。
おそらく、“ぴーぷる”の名前もにわかに聞いたことがある程度かと。
“ぴーぷる”の活動を紹介するだけでも1時間は余裕(笑)。
それだけ積み重なったカタチがある。
今回の紹介で出席者の方々にもおおよその部分は共感していただいたと思う。


当日は大学生がいなくて残念

女性は1名



いろいろとキーワードが出たので忘備録的にメモ

地域の隙間は、いつしか隙間から空白へ広がった

“第三の大人”とは一つのオプション

役割を与えることで活きる

大人たちが変わらなければ子どもたちは変わらない

“第三の◯◯”の◯◯は大人に限らない

などなど一部

実はほとんど忘れてしまいました(笑)


そこは櫛引さんがカバーしてくれました

引用します


○第4回青森KEN民塾「『第三の大人』の役割」(2012.8.30

 第4回を数えた「青森KEN民塾」は「『第三の大人』の役割」がテーマとなった。話題提供者は平川市職員で、弘前市のNPO法人「ぴーぷる」の理事を務める齊藤望さん。参加者は約10人とやや少なめだったが、いつもと変わらず濃密な対話と討議がわき上がった。
 まず、話の主役である「ぴーぷる」の活動にあらためて驚かされた。「弘前子ども劇場」の解散に際し、つながりの持続を求めた3人の女性が中心となって2005年に誕生したという。世界を駆けて四十路を迎えたビジネスマンが、第二の人生を求めて合流、ファシリテーターを務めたことが、大きな循環を生むきっかけになった。子育て支援を起点に、学習支援、そしてまちづくりへと活動を広げている、県内では希有の民間組織だ。団体・個人合わせて約170会員を擁し、専従スタッフも6人いる。事務所のほかに、直営施設として繁華街の中心に「あおもり遊び体験広場」を持ち、有償で利用してもらうことで、一定の収益も確保している。
 「子育て支援の視点から見た社会貢献活動」をキーワードに、集団託児、父親支援の「パパカレッジ」,放課後の子どもの居場所づくり「ぷらっとキャンパス」など、互いに有機的につながる事業を展開。さらには、海外の子どものステイ受け入れや、東日本大震災で被災した岩手県野田村の支援にも携わっている。
 地元のPTA活動と「ぴーぷる」の活動を通じ、齊藤さんが危機感を覚えたのは、中学生を中心とする今の子どもたちの「自己肯定感の低さ」だ。「自分にも良いところがある」「自分のことが好き」と思えない。「孤独を感じる」と答えた15歳の割合は実に3割。英仏に比べて56倍もの割合という。どうしたら、何ができるのか。
 答えは「第三の大人」の活動-。それが齊藤さんの見いだした仮説だ。
 「第三のビール、第三のエコカー。世の中には第三の○○の波がやってきている」。齊藤さんの指摘は新鮮だ。「親でも先生でもない、地域の子どもや社会のために自分を生かす力、つまり『公共力』を持ち、共生のカタチをつくれる人」と、斎藤さんは「第三の大人」を定義する。
 <現在と未来の狭間に立ち、ほどよい距離感を保ちながら、空気を読み、細かな心遣いで手を差し延べる。共感し合い、個々を認め合い、ビジョンを共有することで、まちの未来をともに考えつつ、自己実現の手助けをする>。このようなサポートは、時空間と社会感覚を備えた、成熟した「大人」にしかできない(もちろん、年齢には規定されない「大人」だ。歳を食えば何とかなるということではない)。第三の大人=「社会的親」が、既存の「親」「教師」といった直接の利害にかかわらない立ち位置から、あくまでフラットな関係性で子どもたちの「時間」「空間」「仲間」のすき間を埋めていく。子どもたちは自分を肯定し表現できる場を獲得しながら、身近な社会との新たな接点を紡ぎ出していく-。
 文字に起こすとかえってまどろっこしいが、平らかで緩やかで多様な結びつきが、子どもだけでなく、大人たちの意識や日常にも磨きをかけて、「まち」が成熟していく。それが、「ぴーぷる」が目指し、具現化しつつある社会なのだろう。一方で、「雇用」を目指す意識が、地に足着いた活動を支えるインセンティブになっているようだ。
 *
 齊藤さんの提起には異論は当然出なかった。だが、どうしたら第三の大人をつくれるのか。肝心の子育て世代、30代から40代は多忙を極め、社会参加率が低い。しかも、さほど忙しそうでもない「大人」たちも、家と職場から容易に「外」へ出てこない。…「子どもの居場所づくり」は、実は「大人の居場所づくり」ではないのか。「今は、まだ、『第三の大人』の選択はオプションにしかなっていない。その空白をどう埋めるか」。参加者の一人はそう問い掛けた。
 「弘前市内の子どもたちは、特に駅前のジョッパルが閉鎖された後、放課後の居場所を失っている」「青森市西部でも、学校の統合で子どもが遠距離通学せざるを得なくなり、学校と自宅の狭間でバスの待ち時間を持てあましている子どもが増えている」。そんな深刻な証言もあった。
 結局、大人も子どもも、ひとかたまりの社会や地域の中で、ともに生きるパートナーなのだ。自らの存在を確かめ、そして達成感を手にしたい。その思いも一緒だろう。ただ、大人の側、年長の側には、「未来」への道筋を見つける責務がある。先に生まれた者の宿命だ。何しろ、逆は頼めない。「例えば、『ありがとう』という言葉で、関係性をつくりかえていけないか?」「そういえば、日本で最も美しい言葉は『ありがとう』だと聞いたことがある」「大人が『ありがとう』と言える環境づくりを目指せば、そこに第三の大人への道が開けないか?」。今回も、具体的な施策にまでは対話が収斂しなかった。しかし、第2回の「対話」「熟議」、第3回の「幸福度」に続く、貴重な礎石が置かれたと感じられた。
 一つだけ明らかなこと。未婚化と高齢化が進み、大人総体が孤独と孤立を深めていく中で、「第三の大人」が少なければ、地域と社会の不幸は、未来に向かうほどに深くなる。
M




いろんなヒントをいただきました



当日の配布資料↓