Search

2015年3月16日月曜日

もう新年度の気分

3月後半戦キックオフ。

今月は土日の活動をセーブ。
気力、体力ともに十分^^

人事異動が気になる時期。
平川市の人事異動の内示は3/23。

今年1月、市長から「今のポジションで頑張ってほしい」と宣告済み。
異動のソワソワはまったくない。

気持ちはまっすぐ新年度に向かっている。
計画策定、発注、入札、着手、広報、説明会、現地調査、閲覧、認証、承認、成果送付、登記。

約2年で1サイクルの流れ。
行政的な言葉のパレード。

業務委託の形態は県内初の試み。
しっかりロールモデルを作りたい。

ちょっとずつ陽も長く、暖かくなってきた。
今週は下の子の卒業式。

体調管理しっかりいこう^^

2015年3月15日日曜日

塗り鉄で鉄分補給

「あけぼの」
「北斗星」
「トワイライト」

これでピンとくる人は鉄分の摂取が高い人だ。
ちなみにオラは塗り鉄^^

なぜ、ピンとくるかというと。
そのうちの2つは地元の奥羽本線「碇ヶ関駅」を通過してたから。

寝台特急「あけぼの」は青森駅~上野駅間を。
寝台特急「北斗星」は札幌駅~上野駅間を。
寝台特急「トワイライトエクスプレス」は札幌駅~大阪駅間を。

「あけぼの」は昨年。
「トワイライト」と「北斗星」は今月で定期運行の役目を終えた。

そのトワイライト。
一ヶ月前、大雪のため「碇ヶ関駅」の次駅「津軽湯の沢駅」付近で立ち往生、25時間遅れで大阪に到着。

ある乗客は「あんなに長くトワイライトに滞在できてよかった、一生の思い出になる」とニュースでコメント。
まさに見方を変えれば・・・である。

立ち往生中の列車を撮影しに首からカメラを下げたかなりの撮り鉄さんが訪れたとか。
それだけ平川市に足を運んだことになる。

見方を変えれば・・・
鉄道はたんなる移動手段ではなく地域資源だ。

青森県にはこれだけの鉄道資源がある。
弘南鉄道、津軽鉄道、青い森鉄道、JR。

TVで見たことがあるけど、乗り鉄、撮り鉄、顔鉄さんたちのコミュニティは元気で、ネットワークも広く、行動力もすごい。
「鉄ちゃん」の元気を地域に落として盛り上げたい。

たんなる交流で終わるのではなく、しっかりした関係に発展させて。
「鉄道と人」から「人と人」へと。

2015年3月14日土曜日

ホワイト・デーの流儀

ホワイト・デー。
今日は天気がいい。

今週はホワイト・ウイークだった。
春支度はまだ先…

バレンタイン・デーのチョコ。
ホワイト・デーのクッキー。

世の中はこんな感じで流れてる。
その流れに乗るか、乗らないか。

本命、義理、義務。

本命への告白のきっかけにしてる人っているのかなぁ。
女の人からも男の人からも。

本命チョコは1人?
義理と義務の範囲は?

準備した人はしっかり線を引いてるんだろうな。
想像するとニヤけてくる。

せっかくの土曜日。
久々に予定もなし。

プレゼントよりも食べに行きたいところ。
ワンコインで♫

2015年3月13日金曜日

仕事の報酬とはなにか 田坂広志

仕事の報酬とはなにか 田坂広志

少し古い本だけどあらためて再読。
田坂さんの本は結構読んでる。
いつ読んでも ism を感じる。
どんなテーマもポエムのような感覚で読ませてくれる。
生の語りも好きだ。
オラも ism を感じさせる人間になりたい。

あらためて線を引っ張った部分をメモ。

能力、仕事、成長

いかなるスキルも、テクニックも、ノウハウも、センスも、仕事の現場での厳しい修練を通じて、忍耐力を持って、粘り強く学んでいかない限り、決して、身につくことは、ない。

もっとも高度な知的活動は、もっとも強靭な肉体に支えられる

専門的な知識というナレッジ
職業的な知恵とでも呼ぶべき高度なスキル

「反省」という行為を通じて、「経験」を「体験」にまで高めていない。
「反省」する技術を身につけていないと、「反省」しているつもりが、
単なる「懺悔」や「後悔」になってしまう。

経験を追体験する。
反省で掴んだものを言語化する。

スキルを学ぶ前に、心得、心構え、心の姿勢をしっかりと身につけなければならない。

師匠から学ぶスキルを身につけていくために必要な3つの基本。
呼吸、着眼、心得

「私淑」の意味
直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。

反面教師という言葉の意味は、他人の中にある欠点は、必ず、自分の中にも、あるということを教えてくれる言葉。

邂逅とは、思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。

仕事の報酬は仕事。
良き仕事を残す。

我々が、日々の仕事において残すものは「作品」である。
我々が、心を込めて残す仕事は、一つの作品である。

あるタクシー運転手の乗り心地、気配り溢れる対応。
形に残らないサービスだったが、永く心に残るサービスだった。

一つのプロジェクトは、それらの仲間と作り出す共同作品。
それを創りだすためには仲間との深い共感が求められる。
それは、仕事の本質が知識創造だから。

これからの知識社会において、我々が取り組む仕事の多くは、仲間のもつ様々な知識や知恵を集め、新しい知識や知恵を生み出すことになっていく。
いわゆる、知識創造と呼ばれる仕事になっていく。

誰もが心の奥に、
「腕を磨きたい」という気持ちを持っている。
「良き仕事を残したい」という願いを持っている。
「成長していきたい」との祈りを持っている。
そして、
「仲間とともに歩みたい」との思いを持っている。

その人間同士が、
なぜか、この職場で巡り会った。
なぜか、この仕事で巡り会った。

それは縁。
その縁を得たことには、深い意味がある。
その意味を深く求めながら歩く時、
我々が仲間とともに残す共同作品には、
魂が宿るのかもしれない。

一生懸命に働くと「人間としての成長」が得られる。
「人間としての成長」とは、「心の世界に処する力」。
「心の世界に処する力」とは、
「心の世界を感じる力」。
「心の世界に働きかける力」。

「心の世界」とは、
「自分の心の世界」。
「相手の心の世界」。
「人間集団の心の世界」。
それらには「表面意識の世界」と「無意識の世界」がある。

「心の世界を感じる力」とは「自分の心の世界」を見つめることによって身につけることができる。

毎日忙しく一生懸命働いても、働くことの喜びを感じられない。
それは、「仕事の真の報酬」を見失ってしまったから。
いまの世の中の常識となっている考えは「仕事の報酬は、給料や収入である」という考え方。

この考え方には落とし穴がある。
我々の無意識に、ある「観念」を刷り込んでいる。
「仕事とは苦役であり、その苦役の対価として、金銭という喜びが得られる」。
その「観念」が「仕事そのものの中に、大きな喜びある」ということを忘れさせてしまう。

「仕事は面白くないけれど、給料が良いから我慢している」
「仕事は辛いけれど、生活のためには、仕方がない」
溜息をつくこともあれば、逃げ出したくなる時もある。
でも、
上司から贈られる「力をつけたな」の一言が、大きな喜びになる旬がんがある。
「腕(能力)を磨く」ことの喜びを感じる瞬間。

顧客の笑顔。
顧客が笑顔でかけてくれる「ありがとう」や「おつかれさま」の言葉が、さわやかな喜びになる瞬間がある。
「良き仕事(作品)を残す」ことの喜びを感じる瞬間。

仲間の思い。
仕事の壁に突き当たった時、仲間から伝わってくる温かい思いが、深い喜びになる瞬間がある。
「心の世界が広がる」ことの喜びを感じる瞬間。
どんな仕事でも、こんな喜びの瞬間がある。
そうした喜びこそが、素晴らしい「報酬」。
「仕事の真の報酬」

「収入」や「地位」などの「目に見える報酬」ではなく、「目に見えない報酬」なのである。
その「目に見えない報酬」を見つめる力がなければ、我々は決してその「真の報酬」を得ることはできない。

「目に見えない報酬」を見つめる力。
「目に見えない報酬」を求める心の姿勢。
それらがあれば日々の仕事の中から「無限の報酬」を得ることができるだろう。

「給料」や」収入」は、使い果たせば失われてしまう報酬。
「役職」や「地位」も、その職を辞すれば、失われてしまう報酬。
「人間としての成長」という最高の報酬は「決して失われぬ報酬」。


2015年3月12日木曜日

『いつもの』に感謝

4年前。
我が家の子どもたちは小学校5年生♂と3年生♀だった。

保育園から自分の部屋で1人で寝ていた上の子。
その日を堺に家族全員が同じ部屋で寝るようになった。

よほど…よほど…恐かったんだろう。
11年間経験したことのない経験が。

断続的な地震や停電。
テレビから流れるあの映像。

「非日常」という言葉で整理するにはあまりにも軽々しく浅い。
直接的な被害はないものの、感じた恐怖は子どもたちの胸に深く刻まれたことだろう。

上の子が6年生になって半年。
「自分の部屋で寝る」と言ってきた。

ようやく…
あの日以前の「いつもの」に戻ったんだろう。

「千年に一度」と形容される大地震。
生ある者としての命の使い方を今一度考える必要がある。

『いつもの』に感謝。