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2009年9月11日金曜日

命のオーディション

古いメモが見つかった


今年2月の「アメトーーーク」を見て

思わずロディアにメモったもの




その日のテーマは「あぁ 農業高校芸人」


その中で

前田健がきゅうりの「間引き」について話した“ひとこと”


その「間引き」という行為を


「命のオーディション」と命名


たかがきゅうり・・・


なのかもしれないが


ズシリとくるいいネーミングだ(拍手)



おらん家のきゅうりは間引くほど本数がない

だから

命のオーディションの必要がない



シアワセモノのきゅうりなのだ



それを食べているおらはもっとシアワセなのだ

2009年9月10日木曜日

みんなのオアシス みかさっこ公園


先日の三笠山公園への散歩の帰り道

碇ヶ関中央公民館向かいの

「みかさっこ公園」をパチリ




ここには屋外プールがあった


おらも夏休みは毎日通っていた

水泳は旧碇ヶ関村のお家芸だった

青森県民大会(村の部)の水泳競技でも

10連覇という偉業を達成している

碇ヶ関には泳げない人

いわゆる「カナヅチ」はいないのだ

といっても おらの年代の話


そして 現在のプールは

JR碇ヶ関駅と道の駅「いかりがせき」に挟まれた格好で

屋内温水プール「ゆうえい館」として生まれ変わっている



この場所は

中央公民館の向かいにあって


そして


公民館の裏には

碇ヶ関を縦断する平川が流れ


とっても心地いい場所





ここは

みんなのオアシス

みかさっこ公園

なのだ



2009年9月8日火曜日

「教える」ということ

子どもは質問魔だ

短い会話の中にも

かならず

「なんで・・・」から始まる質問がある



おらが心がけているのは

一緒に探して

答えを見つけること

ここで大事なのは

「一緒に調べる」ということ

それから

「結果ではなく手段を教える」ということ

つまり

「どうすればその答えに辿りつくのか」ということ



繰り返していると気づくことがある



「いかに自分が無知なのか」ということ

「いかに自分は説明が下手なのか」ということ



答えを教えるのは簡単だけど

そこまでのプロセスを説明するのは本当に難しい



「教える」ということは本当に重労働なのだ



報酬は


一緒に答えに辿りついた時の子どもたちの笑顔


それがあるから


また一緒に答えを探す旅に出ることができるんだと思う

2009年9月7日月曜日

あぁ 碇ヶ関駅

今朝も散歩

散歩と言うよりは

ウォーキング

いや

無意識に何かを探してるのかもしれない

トレジャーハンティング的な趣なのかもしれない




ということで

今日の獲物はJR奥羽線

碇ヶ関駅


おらが生まれたときから

この姿


ということはだいぶ古い



誰もいない駅舎とホームをぶらぶら


切符売り場の隣には

関所の写真

ちょっとしたギャラリー



こちらは

昔 津軽の殿様が碇ヶ関の温泉を独占しようとして

「碇ヶ関の温泉は何にも効かない」という由来の看板



こちらは

駅名の由来



弘前市側が「長峰(ながみね)」

秋田県大館市側が「津軽湯の沢(つがるゆのさわ)」



弘前方面



秋田方面


ホームに着いたら

関所を通るイメージの改札口


そう

碇ヶ関は

関所といで湯の里

2009年9月6日日曜日

平川市たけのこの里で「イワナつかみどり体験!」があるよ

平成21年9月12日(土) 13日(日)

平川市碇ヶ関の久吉ダムそばの

久吉温泉自然休暇村「たけのこの里」で

「イワナつかみどり体験」が開催!


対象は小学生以下のお子様

参加料金は1,000円

受付時間は10時から随時

つかみどり時間は10時から15時まで

つかみどりしたイワナは

その場で炭火焼する

「炭火焼体験」もできるとのこと

そして さらに


参加者全員にお土産もあるとのこと!!


家族みんなで行ってみよう!



くわしくは↓へ問い合わせください

久吉温泉自然休暇村「たけのこの里」

電話 0172-45-3131

2009年9月5日土曜日

Sの赤ちゃん 誕生!


おらの周りには「サトル」という名前が3人いる

紛らわしいので

名字のイニシャルで呼んでいる



ひとりは「K(ケイ)」

同じサッカーチームのゴールキーパーだ



もうひとりは

「F(エフ)」

会社の後輩だ




そして最後のひとりが

「S(エス)」

会社の後輩でもあり

Kと同じくサッカーチームのメンバーだ



そのSから

9月2日 18時01分に

「今日、急きょ緊急手術になって帝王切開で赤ちゃん生まれました」

とのメールが入った


奥さんが緊急入院したらしく

帝王切開での出産ということ

「母子ともに元気?」

と返信すると


「赤ちゃんは2234グラムで生まれたので保育器にはいってます。」

「母子ともに元気です」

とのこと



大事なことを聞くのを忘れてた

「男?女?」


「女の子です↑」

とのこと



ともかく

奥さんも赤ちゃんも無事でよかった

それに尽きる


Sおめでとう!


パパは楽しいぜ↑


2009年9月4日金曜日

蔦温泉旅館 祝!創業100周年


蔦温泉旅館とは間接的につながりがある

4代目当主・小笠原正明社長とは大学の同期

互いに結婚式に出席する仲

彼の大学時代のニックネームは

温泉旅館の名前そのままの

「ツタ」


今でも「ツタ」と呼んでいる



4代にわたっての

創業100年


すごいことだ


200年

300年

青森県の宝物を守っていってほしい


友人として応援している


「ツタ、心からおめでとう!」

「おめーはまだ若い」

「伝統を守りつつ、おめーの色をだしてくれ」



北海道新聞〔どうしんWEB〕から引用

蔦温泉旅館 創業100周年祝う (09/04 10:27)

石碑を除幕する小笠原社長(左から2人目)、大町さん(右)ら

石碑を除幕する小笠原社長(左から2人目)、大町さん(右)ら

 今年で創業100周年を迎えた十和田市の蔦 温泉旅館で3日、「創業100周年記念・祝う会」が開かれ、関係者約70人が節目を祝った。また、同旅館を全国に紹介した明治・大正期の文人、大町桂月の生誕140周年を記念して 建立した石碑がお披露目された。

 蔦温泉旅館は1909(明治42)年、初代館主小笠原四郎が創業。温泉の歴史はさらに古く、1147(久安3)年に湯治場が設置されたと の資料が残っている。1918(大正7)年に建 築された旅館本館は、基本的なつくりは今も変わっておらず、風格あるたたずまいを残している。

 1869(明治2)年、高知県に生まれた桂月 は、旅館を創業する1年前の9月3日、十和田 湖を探勝した帰りに初めて蔦を訪問。自然の美しさに魅了され、紀行文などで十和田湖や奥入瀬渓流周辺の魅力を全国に発信。創業時、苦しい経営が続いた同旅 館ににぎわいをもたらした。

 旅館の周辺には、桂月の墓のほか、10以上の歌碑などがある。同日お披露目した石碑は、桂月が旅館滞在中に執筆した紀行文の一節を引用し「湯舟の気持ちよきこと天下に稀れ也」などと刻まれている。

 祝う会では、4代目当主・小笠原正明社長(39)や桂月の孫・大町芳章さん(80)ら4人が、庭園内に建立した石碑を除幕。桂月の偉大な 功績をたたえた。小笠原社長は「温泉の歴史から考えるとまだ100年だが、多くの人に支 えられてきた。10、20年後も『まだ変わっていない』と話題にしてもらえれば」とあいさつした。


2009年9月3日木曜日

葛西 善蔵

昨日 朝の散歩で三笠山公園を訪れたことを書いた

三笠山公園には作家 葛西善蔵の文学碑が建立されている

実は

訪れたのは理由があった


7月の東奥日報の夕刊で

「北の文学連邦-本県文筆家の系譜-」

というシリーズを斎藤三千政氏が連載し

「葛西善蔵と石坂洋次郎」というテーマでとりあげていた


その記事の切り抜きをそのうち行こうと思い

ずっと手帳に挟んでおいた

それからずいぶんたったが

葛西に会いに行くことができた



葛西は碇ヶ関に住んでいたこともあり

この地を愛していたようだ

東京で亡くなる際も

碇ヶ関行きの切符を欲していたほどに


この文学碑は昭和37年(1962)に建立

碑文は「椎の若葉」の末文の一節から


椎の若葉に光あれ

親愛なる椎の若葉よ

君の幾分かを

僕に恵め

善蔵


とある





葛西は昭和3年(1928)7月23日に永眠

没後81年



善蔵 また会いにいくから


2009年9月2日水曜日

雲の上の散歩

最近の朝の景色は朝もやと露

すっかり秋の気配

そしてなによりも


寒い



今朝は4:50に起きて

三笠山公園へ

行きは歩いて30分

帰りは走って15分


三笠山公園の東屋から

碇ヶ関の町なみを見下ろしてパチリ


雲を見下ろしてパチリ



なんだか雲の上にいるみたい


2009年9月1日火曜日

想ひ出のテニス全米オープン~Honeymoon~


2009年 8月31日 月曜日

テニス全米オープンが開幕した



1999年 9月1日 水曜日 午前9時

テニス全米オープンの初日

開催地のニューヨーク・フラッシングメドゥにいた




1997年

ケンブリッジ留学で知り合ったカズミを訪ねたロンドン

そこで知り合ったサイさんが美術の勉強のため

ニューヨークに居を移していたこと



母の友人が「竹生(ちくぶ)」という日本料理屋さんを

マンハッタンで営んでいたこと


テニス全米オープンを観たかったこと


メトロポリタン美術館観たかったこと

etc



なによりも

自由の女神

エンパイア・ステートビル

5番街

マンハッタン

etc

ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク ・・・


この響きに酔わされていたこと


迷いなくニューヨークを新婚旅行先に選んだ


1999年8月30日から9月6日までの1週間の旅程



あれから10年


いろんなことが変わった


なかったものができたり


あったものがなくなったり


ほんとにいろんなことが変わった


でも

ニューヨークの想ひ出は変わらない


すべてが楽しかった



U.Sオープンの開幕を知るたびに想ひ出す


いつまでも変わらない

想ひ出のニューヨークを