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2012年7月16日月曜日

“NPOぴーぷる”が「第6回キッズデザイン賞」を受賞


理事を務める
嬉しいメールが!


あおもり遊び体験広場 ” の取り組みが
第6回キッズデザイン賞」を受賞したと。


キッズデザイン賞ってなに?
KIDS DESIGN AWARD 2012のHPによると

すべての子どもは社会の宝であり、子どもを健全に育み、安心して子育てができる環境をつくることは社会の責務であると考えます。
キッズデザインとは、子どもが安全かつ感性豊かに育つための社会環境、子どもを産み育てやすい社会環境をデザインを通じて整備することです。
キッズデザイン賞は、
「子どもたちの安全・安心に貢献するデザイン」、
「子どもたちの創造性と未来を拓くデザイン」、
「子どもたちを産み育てやすいデザイン」の3つのデザインミッションから構成された顕彰制度です。
社会的、文化的な見地から公正な評価を与え、子ども環境の高度化を図ることを目的としています。
応募対象は、乳幼児用品や玩具などの子ども用の製品・空間・サービスはもちろん、あらゆる年齢層が使うもので、かつ子どもへの配慮、子ども目線を持った良質な製品・空間・サービス・プログラム・調査研究活動です。
昨年度から被災地への復興支援のための取り組みなども対象としています。受賞作品は、「キッズデザインマーク」を使用することができます。

“ ぴーぷる ” 事務局からのメールを勝手に拝借(隊長許して)
“ あおもり遊び体験広場 ” は、良質なおもちゃと遊びをツールとした
「健常者も障がい者も隔てなく社会参画できる環境づくり」の取り組みが評価され、子どもたちの創造性と未来を拓くデザイン「子どもの未来デザイン・クリエイティブ部門」での受賞となりました。
地方都市の小さなNPOが、日本国内において製品・コンテンツ・サービスを市場に流通させている大手企業や研究機関と対峙し受賞できましたことを誇りに思うと伴に、ぴーぷる運営に関し多大なご支援をくださいました理事各位のお力添えと感謝いたす次第です。


この賞の応募に関しては
先月の理事会&総会でも話題になっていた

身内が言うのもなんだけど
街中にこんな『笑顔発信基地』がある街は素敵だ

家族がベビーカーを押して
“ 遊び体験広場 ” にやってくる
“ ベビーカーの似合うまち  弘前 ”

いつかベビーカーで
土手町が渋滞することを夢に見る

“ ぴーぷる ” が叶えてくれることを信じて

2012年5月12日土曜日

東北まちづくりオフサイトミーティング 第11回勉強会 in 盛岡


東北道碇ヶ関I.Cから1時間、OM勉強会が開催される盛岡市に1人で向かった。

確実に知っている人は1名だけ…(笑)。そんなアウェイな状況だが、会場はたくさんの人であふれ、あったかい空気が漂っていた。それもそのはず、この『空間』には志のベクトルが同じ方向を向いている200名を超える有志がいるのだ。

事例発表、講演、交流会。どれも刺激的な内容で、その刺激がツボを押してくれたようで、会場を後にした時には身も心も健康になったような気がした。

交流会でたくさんの方と知り合うことができて、その出会いの数だけ背中を押してくれたような気がする。

参加者はもちろんだが、主催者が楽しんでいる祭りやイベントは否が応でも盛り上がる。今回は岩手県実行委員会の太くたくましいつながりを感じた。そしてちょっぴり妬けた(笑)。

たくさんの学びと出会いに感謝。この感謝の循環がたくさんの共感をシェアし、今もなおでっかいスパイラルとなって東北OMは羽(輪・和・環)を広げ空に向かっているのだと思う。

10月はOM初の青森県での勉強会。私も微力ながらホーム(津軽)での開催を盛り上げたい。

【事例発表】

陸前高田市 久保田 崇副市長の「陸前高田市の現状と課題」の講演メモ。

陸前高田市では職員300人の内68人が死亡。
名古屋市をはじめとして様々な自治体から職員が派遣されてきている。
名古屋市では市民の募金で修学旅行生を招待している。
ワタミの渡辺美樹社長の応援あり(ワタミ宅食のコールセンターを設立して雇用を生んでいる)
高齢化率が35%、若者の地元離れが懸念されている。
元どおりの姿になるには10年はかかるだろう。しかし、せっかく元に戻っても若者がいない。
目先の議論(住居や道路)が先行し、将来的にこの地でどうやて生活していくのかという議論はまだされていない。
若者が残るまちづくりを目指す。
ガレキは150万トンで岩手最大の量。
課題を3つあげるとすれば住居、雇用、この災害を風化させないこと。
とにかく多くの方に一度足を運んで欲しい。

宝物の写真です。
左:久保田陸前高田副市長(当時)
中:齊藤望
右:樋渡武雄市長(当時)
【講 演】

佐賀県武雄市 樋渡啓祐市長の「首長パンチ みちのく復興編」の講演メモ。

be first , be fast , be change
Are you sure?

武雄市では職員390人全員がFacebookアカウントを持っている。
市のHPをFacebookに全面移行したところ、月間PVが5万から330万に増えた。
PCはWindowsだけじゃなくてAppleも入っている。

同行した杉山隆志さんにマイクをバトンタッチ。
公共が失敗したという事実を公表したことを聞いたことがない(樋渡市長を除いて)。
現実には失敗したと言えない環境下にある。
そうすると、職員は失敗することをしなくなる。
つまり、新しいことにチャレンジしなくなる。
市民も寛容になってチャレンジしたことを褒める社会に変えていかないといけない。
日本は失敗を許さない文化がある。
やらないで動かないよりは動いて失敗した方がいい。
情報の発信から共感の発信へ
感情を発信し、自ら共感を生む。

樋渡市長にマイクバック。
Opportunity is nothing without action.
100の理論より1の実行
笑があることが大事。
市長は放火魔。
火をつけていくことが仕事。
火をつけたら職員がちゃんとやっといてくれる。
とにかく一番に早くやることが大事。
スピードは最大の負荷価値。
サービスに休みはない。
だからTSUTAYAに図書館を指定管理にした。
できるところにできることをやってもらう、それだけ。
被災地で雇用を生むには全員公務員にすればいい。

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5月14日、青森中央学院大学での行政学の講師を依頼されていたので、お二人から学生たちへのアドヴァイスをお願いした。

樋渡市長
 武雄市にくればいい。
 いい職員に出会うことが大切。
 言葉も文化も違う海外に行った方がいい。

久保田副市長
大学生は金はないかもしれないが時間はある。
被災地、現場に行ってほしい。
被災地を見れば人生を変えるような学びがある。

後日、OMニュースレターに掲載された。

2012年3月19日月曜日

岩手県山田町『おもちゃの広場日記④』~帰弘~

3.19 Mon

快晴

昨夜降った雪のせいか

冷え込んだ朝


その日の朝読んだ日経新聞に

山根一眞さんのコラムがあった


引用する


3.11の震災は新しい日本を作る契機になる
『復興』とはもう言わず
『新興』という言葉を使ったらどうか


元に戻すのではなく
新しい力のある地域や産業を興す


やろうと思ってもできなかったことを
大胆にやってほしい




あっという間の4日間


今までの

そして

これからの人生においても

かけがえのない体験となった



実際に現地を見て

何といっていいのか

言葉を探しても見つからない日々



実は昨日

『おもちゃの広場』が開場する前に

地震があった


オラは

どうせすぐ終わるだろうと思ってた

オラたちが気づかないほどの

揺れ始めの時

山田町職員の方が

『来るっ』って言った



危機意識というか

防災意識の差を感じた

心地の悪い「差」だった


『おもちゃの広場』での

子供たちの笑顔を見て

自分にできることはなんなのか...

強い気持ちがフツフツと沸いてきた


たぶん・・・

一方的な支援とか応援じゃなくて

好意が

おせっかいにならないように

現地の声を聴いて共に行う

“ To ” から “ With ” へ

“ For ” から “ Together ” へ 




裏を返せば

今回スタートした「egao応援プロジェクト」が

一刻も早く終了することが

われわれ “ ぴーぷる ” の願いなのかもしれない



今回はキックオフ

笛がなったばかり



ノーサイドの笛が鳴るまで

けっぱるべし!


帰路

通り道の『道の駅 やまびこ館』で購入


もっと現地のことを把握しないと



代表・隊長・姉さん

本当にお世話になりました
 

2012年3月18日日曜日

岩手県山田町『おもちゃの広場日記③』~当日~

3.18 Sun

『おもちゃの広場』当日

気合十分の朝

天気は快晴



山田町広報紙への掲載と

この↓チラシを事前に配布していただいた



今日も

『復興山田がんばっぺし祭り』


『おもちゃの広場』は

右奥の建物(パンだの隣)の2階


最終準備も終わって

あとはお客さんを待つだけ



最初のお客さんは

女の子3人組


この写真はオラのお気に入り

中に入った男の子は

壊さないようにフリーズして

『卒業式より緊張する』と。。。(笑)


続々と子どもたちがやってきた


チラシを見てきたという

家族連れも!






右から2人目のオレンジTシャツを着た

近藤さんは山田町の出身で

弘前医療福祉大学の

学生のボランティアとして参加



あっという間の5時間


「もっと遊びたい」 

「明日また来るから」

といった子供たちの声


後ろ髪を引かれるような気持ち



たくさんの方々とつながって

支えていただいて

怪我もなく無事に終了することができた


本当に感謝



山田町職員の担当してくれた方とも

再会を約束


必ずまた来る



2012年3月17日土曜日

岩手県山田町『おもちゃの広場日記②』~準備~


3.17 Sat


午後からの会場設営に向けて

ゆっくり起床


天気予報は

曇りのち雨


宮古市から山田町への道中


海際の住宅は

近いところは基礎部分

距離があるところはガラスの破損

空き地には動かない車の山








今日も

言葉を探しても見つけることはできなかった


今日の穏やかな海からは

想像もできない



『道の駅 山田』で昼食をとり

明日の “ おもちゃの広場 ” の会場

山田町中央コミュニティセンターへ向かった


山田町役場一帯は

保健センター・中央公民館・コミュニティセンターが

集約されている


ちょうどこの週末は

『復興山田がんばっぺし祭り』が開催されていた




さて

ここからが仕事


さっそく『おもちゃの広場』の

設営に取り掛かった


会場設営前



設営中


完成



山田町と平川市は姉妹友好都市


その意味でも

オラ自身の

今回の『おもちゃの広場』開催には

思い入れがあった


『おもちゃの広場』の開催に当たって

いろいろと面倒を見てくれた

生涯学習課の担当の方と初対面


いろんな話を伺った



地震や津波

山田町は火災での被害が多かったこと


公務員(奉仕者)として
責任を果たさなければいけない思い


家族に対して十分に手を差し伸べてやれない
悔しい思いと葛藤


町民の行き場のない
怒りや悲しみから寄せられる罵声


支援の受け入れのために
通常業務ができないことからくる焦り


震災から数ヶ月過ぎても
何をするにもマイナス思考で
これ以上何を頑張ればいいのか
自分も被災者なんだけど・・・


いっそあの時死んでいれば
こんなにつらい思いをしなくてもすんだのに


1年経った今
町民の方々からの
感謝やねぎらいの言葉を
素直に受け入れることができるようになった


少しずつ
非日常の生活から
日常の生活に戻ってきている


『生きていて本当に良かった』
この気持ちを持つことができるまで
1年の時間がかかった



山田町の現状を

事前に調べもせずにやってきたことを

恥ずかしく思うと同時に

ひどく失礼なことをしたと

痛い気持ちになった



明日の『おもちゃの広場』は

子どもたちや家族の方を


とにかく笑顔で迎えよう



たくさんの人に楽しんでもらえるように


岩手県山田町『おもちゃの広場日記③』~当日~