子どもは質問魔だ
短い会話の中にも
かならず
「なんで・・・」から始まる質問がある
おらが心がけているのは
一緒に探して
答えを見つけること
ここで大事なのは
「一緒に調べる」ということ
それから
「結果ではなく手段を教える」ということ
つまり
「どうすればその答えに辿りつくのか」ということ
繰り返していると気づくことがある
「いかに自分が無知なのか」ということ
「いかに自分は説明が下手なのか」ということ
答えを教えるのは簡単だけど
そこまでのプロセスを説明するのは本当に難しい
「教える」ということは本当に重労働なのだ
報酬は
一緒に答えに辿りついた時の子どもたちの笑顔
それがあるから
また一緒に答えを探す旅に出ることができるんだと思う
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2009年9月8日火曜日
2009年9月7日月曜日
2009年9月6日日曜日
平川市たけのこの里で「イワナつかみどり体験!」があるよ
Time
20:05
2009年9月5日土曜日
Sの赤ちゃん 誕生!
Time
12:48
おらの周りには「サトル」という名前が3人いる
紛らわしいので
名字のイニシャルで呼んでいる
ひとりは「K(ケイ)」
同じサッカーチームのゴールキーパーだ
もうひとりは
「F(エフ)」
会社の後輩だ
そして最後のひとりが
「S(エス)」
会社の後輩でもあり
Kと同じくサッカーチームのメンバーだ
そのSから
9月2日 18時01分に
「今日、急きょ緊急手術になって帝王切開で赤ちゃん生まれました」
とのメールが入った
奥さんが緊急入院したらしく
帝王切開での出産ということ
「母子ともに元気?」
と返信すると
「赤ちゃんは2234グラムで生まれたので保育器にはいってます。」
「母子ともに元気です」
とのこと
大事なことを聞くのを忘れてた
「男?女?」
「女の子です↑」
とのこと
ともかく
奥さんも赤ちゃんも無事でよかった
それに尽きる
Sおめでとう!
パパは楽しいぜ↑
2009年9月4日金曜日
蔦温泉旅館 祝!創業100周年
Time
22:17
蔦温泉旅館とは間接的につながりがある
4代目当主・小笠原正明社長とは大学の同期
互いに結婚式に出席する仲
彼の大学時代のニックネームは
温泉旅館の名前そのままの
「ツタ」
今でも「ツタ」と呼んでいる
4代にわたっての
創業100年
すごいことだ
200年
300年
青森県の宝物を守っていってほしい
友人として応援している
「ツタ、心からおめでとう!」
「おめーはまだ若い」
「伝統を守りつつ、おめーの色をだしてくれ」
北海道新聞〔どうしんWEB〕から引用
蔦温泉旅館 創業100周年祝う (09/04 10:27)
石碑を除幕する小笠原社長(左から2人目)、大町さん(右)ら
今年で創業100周年を迎えた十和田市の蔦 温泉旅館で3日、「創業100周年記念・祝う会」が開かれ、関係者約70人が節目を祝った。また、同旅館を全国に紹介した明治・大正期の文人、大町桂月の生誕140周年を記念して 建立した石碑がお披露目された。
蔦温泉旅館は1909(明治42)年、初代館主小笠原四郎が創業。温泉の歴史はさらに古く、1147(久安3)年に湯治場が設置されたと の資料が残っている。1918(大正7)年に建 築された旅館本館は、基本的なつくりは今も変わっておらず、風格あるたたずまいを残している。
1869(明治2)年、高知県に生まれた桂月 は、旅館を創業する1年前の9月3日、十和田 湖を探勝した帰りに初めて蔦を訪問。自然の美しさに魅了され、紀行文などで十和田湖や奥入瀬渓流周辺の魅力を全国に発信。創業時、苦しい経営が続いた同旅 館ににぎわいをもたらした。
旅館の周辺には、桂月の墓のほか、10以上の歌碑などがある。同日お披露目した石碑は、桂月が旅館滞在中に執筆した紀行文の一節を引用し「湯舟の気持ちよきこと天下に稀れ也」などと刻まれている。
祝う会では、4代目当主・小笠原正明社長(39)や桂月の孫・大町芳章さん(80)ら4人が、庭園内に建立した石碑を除幕。桂月の偉大な 功績をたたえた。小笠原社長は「温泉の歴史から考えるとまだ100年だが、多くの人に支 えられてきた。10、20年後も『まだ変わっていない』と話題にしてもらえれば」とあいさつした。
2009年9月3日木曜日
葛西 善蔵
Time
21:08
昨日 朝の散歩で三笠山公園を訪れたことを書いた
三笠山公園には作家 葛西善蔵の文学碑が建立されている
実は
訪れたのは理由があった
7月の東奥日報の夕刊で
「北の文学連邦-本県文筆家の系譜-」
というシリーズを斎藤三千政氏が連載し
「葛西善蔵と石坂洋次郎」というテーマでとりあげていた
その記事の切り抜きをそのうち行こうと思い
ずっと手帳に挟んでおいた
それからずいぶんたったが
葛西に会いに行くことができた
葛西は碇ヶ関に住んでいたこともあり
この地を愛していたようだ
東京で亡くなる際も
碇ヶ関行きの切符を欲していたほどに
この文学碑は昭和37年(1962)に建立
碑文は「椎の若葉」の末文の一節から
椎の若葉に光あれ
親愛なる椎の若葉よ
君の幾分かを
僕に恵め
善蔵
とある
葛西は昭和3年(1928)7月23日に永眠
没後81年
善蔵 また会いにいくから
2009年9月1日火曜日
想ひ出のテニス全米オープン~Honeymoon~
Time
21:21
2009年 8月31日 月曜日
テニス全米オープンが開幕した
1999年 9月1日 水曜日 午前9時
テニス全米オープンの初日
開催地のニューヨーク・フラッシングメドゥにいた
1997年
ケンブリッジ留学で知り合ったカズミを訪ねたロンドン
そこで知り合ったサイさんが美術の勉強のため
ニューヨークに居を移していたこと
母の友人が「竹生(ちくぶ)」という日本料理屋さんを
マンハッタンで営んでいたこと
テニス全米オープンを観たかったこと
メトロポリタン美術館観たかったこと
etc
なによりも
自由の女神
エンパイア・ステートビル
5番街
マンハッタン
etc
ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク ・・・
この響きに酔わされていたこと
迷いなくニューヨークを新婚旅行先に選んだ
1999年8月30日から9月6日までの1週間の旅程
あれから10年
いろんなことが変わった
なかったものができたり
あったものがなくなったり
ほんとにいろんなことが変わった
でも
ニューヨークの想ひ出は変わらない
すべてが楽しかった
U.Sオープンの開幕を知るたびに想ひ出す
いつまでも変わらない
想ひ出のニューヨークを
テニス全米オープンの初日
開催地のニューヨーク・フラッシングメドゥにいた
1997年
ケンブリッジ留学で知り合ったカズミを訪ねたロンドン
そこで知り合ったサイさんが美術の勉強のため
ニューヨークに居を移していたこと
母の友人が「竹生(ちくぶ)」という日本料理屋さんを
マンハッタンで営んでいたこと
テニス全米オープンを観たかったこと
メトロポリタン美術館観たかったこと
etc
なによりも
自由の女神
エンパイア・ステートビル
5番街
マンハッタン
etc
ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク ・・・
この響きに酔わされていたこと
迷いなくニューヨークを新婚旅行先に選んだ
1999年8月30日から9月6日までの1週間の旅程
あれから10年
いろんなことが変わった
なかったものができたり
あったものがなくなったり
ほんとにいろんなことが変わった
でも
ニューヨークの想ひ出は変わらない
すべてが楽しかった
U.Sオープンの開幕を知るたびに想ひ出す
いつまでも変わらない
想ひ出のニューヨークを
2009年8月31日月曜日
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