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2009年9月5日土曜日

Sの赤ちゃん 誕生!


おらの周りには「サトル」という名前が3人いる

紛らわしいので

名字のイニシャルで呼んでいる



ひとりは「K(ケイ)」

同じサッカーチームのゴールキーパーだ



もうひとりは

「F(エフ)」

会社の後輩だ




そして最後のひとりが

「S(エス)」

会社の後輩でもあり

Kと同じくサッカーチームのメンバーだ



そのSから

9月2日 18時01分に

「今日、急きょ緊急手術になって帝王切開で赤ちゃん生まれました」

とのメールが入った


奥さんが緊急入院したらしく

帝王切開での出産ということ

「母子ともに元気?」

と返信すると


「赤ちゃんは2234グラムで生まれたので保育器にはいってます。」

「母子ともに元気です」

とのこと



大事なことを聞くのを忘れてた

「男?女?」


「女の子です↑」

とのこと



ともかく

奥さんも赤ちゃんも無事でよかった

それに尽きる


Sおめでとう!


パパは楽しいぜ↑


2009年9月4日金曜日

蔦温泉旅館 祝!創業100周年


蔦温泉旅館とは間接的につながりがある

4代目当主・小笠原正明社長とは大学の同期

互いに結婚式に出席する仲

彼の大学時代のニックネームは

温泉旅館の名前そのままの

「ツタ」


今でも「ツタ」と呼んでいる



4代にわたっての

創業100年


すごいことだ


200年

300年

青森県の宝物を守っていってほしい


友人として応援している


「ツタ、心からおめでとう!」

「おめーはまだ若い」

「伝統を守りつつ、おめーの色をだしてくれ」



北海道新聞〔どうしんWEB〕から引用

蔦温泉旅館 創業100周年祝う (09/04 10:27)

石碑を除幕する小笠原社長(左から2人目)、大町さん(右)ら

石碑を除幕する小笠原社長(左から2人目)、大町さん(右)ら

 今年で創業100周年を迎えた十和田市の蔦 温泉旅館で3日、「創業100周年記念・祝う会」が開かれ、関係者約70人が節目を祝った。また、同旅館を全国に紹介した明治・大正期の文人、大町桂月の生誕140周年を記念して 建立した石碑がお披露目された。

 蔦温泉旅館は1909(明治42)年、初代館主小笠原四郎が創業。温泉の歴史はさらに古く、1147(久安3)年に湯治場が設置されたと の資料が残っている。1918(大正7)年に建 築された旅館本館は、基本的なつくりは今も変わっておらず、風格あるたたずまいを残している。

 1869(明治2)年、高知県に生まれた桂月 は、旅館を創業する1年前の9月3日、十和田 湖を探勝した帰りに初めて蔦を訪問。自然の美しさに魅了され、紀行文などで十和田湖や奥入瀬渓流周辺の魅力を全国に発信。創業時、苦しい経営が続いた同旅 館ににぎわいをもたらした。

 旅館の周辺には、桂月の墓のほか、10以上の歌碑などがある。同日お披露目した石碑は、桂月が旅館滞在中に執筆した紀行文の一節を引用し「湯舟の気持ちよきこと天下に稀れ也」などと刻まれている。

 祝う会では、4代目当主・小笠原正明社長(39)や桂月の孫・大町芳章さん(80)ら4人が、庭園内に建立した石碑を除幕。桂月の偉大な 功績をたたえた。小笠原社長は「温泉の歴史から考えるとまだ100年だが、多くの人に支 えられてきた。10、20年後も『まだ変わっていない』と話題にしてもらえれば」とあいさつした。


2009年9月3日木曜日

葛西 善蔵

昨日 朝の散歩で三笠山公園を訪れたことを書いた

三笠山公園には作家 葛西善蔵の文学碑が建立されている

実は

訪れたのは理由があった


7月の東奥日報の夕刊で

「北の文学連邦-本県文筆家の系譜-」

というシリーズを斎藤三千政氏が連載し

「葛西善蔵と石坂洋次郎」というテーマでとりあげていた


その記事の切り抜きをそのうち行こうと思い

ずっと手帳に挟んでおいた

それからずいぶんたったが

葛西に会いに行くことができた



葛西は碇ヶ関に住んでいたこともあり

この地を愛していたようだ

東京で亡くなる際も

碇ヶ関行きの切符を欲していたほどに


この文学碑は昭和37年(1962)に建立

碑文は「椎の若葉」の末文の一節から


椎の若葉に光あれ

親愛なる椎の若葉よ

君の幾分かを

僕に恵め

善蔵


とある





葛西は昭和3年(1928)7月23日に永眠

没後81年



善蔵 また会いにいくから


2009年9月2日水曜日

雲の上の散歩

最近の朝の景色は朝もやと露

すっかり秋の気配

そしてなによりも


寒い



今朝は4:50に起きて

三笠山公園へ

行きは歩いて30分

帰りは走って15分


三笠山公園の東屋から

碇ヶ関の町なみを見下ろしてパチリ


雲を見下ろしてパチリ



なんだか雲の上にいるみたい


2009年9月1日火曜日

想ひ出のテニス全米オープン~Honeymoon~


2009年 8月31日 月曜日

テニス全米オープンが開幕した



1999年 9月1日 水曜日 午前9時

テニス全米オープンの初日

開催地のニューヨーク・フラッシングメドゥにいた




1997年

ケンブリッジ留学で知り合ったカズミを訪ねたロンドン

そこで知り合ったサイさんが美術の勉強のため

ニューヨークに居を移していたこと



母の友人が「竹生(ちくぶ)」という日本料理屋さんを

マンハッタンで営んでいたこと


テニス全米オープンを観たかったこと


メトロポリタン美術館観たかったこと

etc



なによりも

自由の女神

エンパイア・ステートビル

5番街

マンハッタン

etc

ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク ・・・


この響きに酔わされていたこと


迷いなくニューヨークを新婚旅行先に選んだ


1999年8月30日から9月6日までの1週間の旅程



あれから10年


いろんなことが変わった


なかったものができたり


あったものがなくなったり


ほんとにいろんなことが変わった


でも

ニューヨークの想ひ出は変わらない


すべてが楽しかった



U.Sオープンの開幕を知るたびに想ひ出す


いつまでも変わらない

想ひ出のニューヨークを